お前それ、ゾフィーにも同じこと言えんの?ver.2.0

主にウルトラマン・仮面ライダー・スーパー戦隊シリーズなどの特撮関係の話題等を扱っていこうと思います。

映画『シン・仮面ライダー』ちょっとした感想

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画像は、スクリーン入口に埋め込み掲示されていた宣伝ポスター

 

 

 

今回は、先日(2023年3月18日)に公開された映画『シン・仮面ライダー』の感想記事です。

 

シン・ゴジラ』、『シン・ウルトラマン』に続き、庵野監督の『シン~』系特撮映画3作品目として制作された本作。公開前から様々なマーケティングを打ち出し、このあたりは「東映らしいな」と感じさせられましたが、フタを開けてみると、その作品の内容は、本当に『仮面ライダー』オタクが作った、一般大衆置いてけぼり(ほめてます)なものになっていました。作品として面白いとは思ったけど、なんであんな事前マーケティングをやったんだ…?

 

混雑を避けるため、また『シン・ウルトラマン』ほど何が何でも一刻も早く観たいというワケでもなかったので、公開3日後の昨日(3月20日)のレイトショー・4DXで視聴60人くらいはいるハコで、私含めて10名の入りでした。まあ、郊外の映画館で観たし、入り具合的にはこんなものかな。

 

なお、今までの庵野監督作品である『シン~』系作品の感想記事は↓コチラです。

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STORY:青年:本郷猛は、気が付いたとき、バッタのような異形の姿に変身し、向かってくる敵を殴り殺し、女性と逃避行をしていた。彼は、彼女:緑川ルリ子に隠れ家へ案内され、恩師の緑川博士から説明を受けたことで、自分がバッタオーグへと改造されたことと、世界と人類の支配を狙う秘密結社:SHOCKERの存在を知る。自分の身体に、そして遭遇する別のオーグたちとの戦いに戸惑いながらも、本郷は“仮面ライダー”と名乗り、ルリ子を守るため、そしてSHOCKERのたくらみを止めるため、自らの意思で戦いに身を投じていく。“仮面ライダー”は、自分とルリ子の、ひいては人間の自由と平和のために、SHOCKERと戦うのだ。

 

ゴジラ』や『ウルトラマン』と違い、『仮面ライダー』はマンガという原典がある作品(『ゴジラ』は小説があるけど、あれは映画の脚本をベースに作られたもの)。そのため、てっきりその原典をベースとした作風になるかと思いきや、どちらかと言えば皆のよく知るTVシリーズへのオマージュに重きを置いた作風に。そのため、大まかなストーリー構成は意外にも『シン・ウルトラマン』に似ており、SHOCKER怪人/オーグとの戦いの話が、ややぶつ切り的につなぎ合わされて作られています。

 

『シン~』系作品でおなじみとなった、原作へのオマージュも、本作では多分に含まれており、それは前半(一文字隼人登場前)で顕著。特に、クモオーグの戦闘シーンは、「怪奇蜘蛛男」の戦闘シーンを徹底的に再現しており、圧倒されました。もうこれだけで、ニヤニヤが止まりません。

 

仮面ライダー』初期で見られる改造人間としての悲哀も、アレンジしてしっかりと再現。オリジナルが常人を超えた力という外面に悲しみを求めていたのに対し、本作ではSHOCKERの洗脳を受けていない=恐怖や絶望を感じるという設定で、心という内面に求めているのが、現代的な考え方だなと思いました。

 

また、事前宣伝でやたらと「信頼」や「継承」がクローズアップされて宣伝されていましたが、作品を観ると、その意味がハッキリと分かるなという印象。詳細は伏せますが、確かにこの作品は、人が思いを他人へ「信頼」して託し、託された側が「継承」していくものでした。ラストで新たな姿の仮面ライダー(旧1号→旧2号とくれば、次に来る姿が何か想像ができますよね?)の登場理由は、「なるほどそう来るか!」と膝を打ちましたね。

 

そして、何より私が声を大にして言いたいのが、本作において、仮面ライダーが仮面をかぶることに、様々な意味を与えていること。どうしても『仮面ライダー』だと「仮面をかぶること=改造人間の悲哀」としたくなりますが、本作ではそれ以外にも、要所要所で仮面をかぶることに対する特有の意味を与えており、新たな解釈であると脱帽しました。これは本当に、「仮面ライダーシリーズ」の歴史に刻んでおかねばならぬことだと、確信しましたね。

 

 

このように、しっかりとオマージュを入れつつ、『仮面ライダー』のリブートをやろうとしていた『シン・仮面ライダー』。しかし同時に、『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』とは違い、多くの課題もあるなと感じられるものでした。特に目立つのが、「ドラマの過程の短縮っぷり」と「オマージュの欲張りすぎ」です。

 

まずは、「ドラマの過程の短縮っぷり」。本作では多種多様なオーグが登場しますが、そのせいで個々のドラマに割ける時間が短くなってしまっており、それにより描写をムリヤリすっ飛ばしているなという箇所が散見されます。結果に対する過程の説明と描写が、どれも不足気味なのです。

 

特に、VSハチオーグ戦前後のドラマは、ルリ子の人間性を深堀するうえで重要なドラマでしたが、彼女らの因縁は口頭でちょろっと説明される程度。ハチオーグがなぜあそこまでルリ子に敵意を抱くのか不明ですし(「SHOCKERの敵となったから」というだけではない、嫉妬のような恨みがある)、この戦いを通して人間性を取り戻したルリ子ですが、直後の描写があまりにも突き抜けすぎです。どのパートも、もう+10分くらいドラマが欲しかったですね。

 

続いて、「オマージュの欲張りすぎ」。本作は、前半こそ上述した通り、ファンにぶっ刺さるようなオマージュをやってくれている感じでしたが、後半から、正確にはそれよりも前のVSコウモリオーグ戦から、『仮面ライダー』だけでなく様々な石ノ森作品のオマージュと思しき描写や設定がかなり挿入。終盤になると、あまりにもいろいろ盛り込みすぎているため、「いや『シン・仮面ライダー』なんだから、『仮面ライダー』のオマージュに注力してよ」と思っちゃいました。

 

私が特に気になったのは、VSハチオーグ戦直前に挿入される別の女性オーグとの戦闘や、初めて仮面ライダー第2号が倒すことになる合成オーグ。彼らは他の石ノ森作品からではなく『仮面ライダー』のオマージュですが、前者はオリジナルとはほど遠い設定であっという間に退場、後者は「合成怪人」をやっているのが信じられません。オリジナルで合成怪人と言えば、それはショッカーではなくゲルショッカーの専売特許のはず。庵野監督がそれを知らないはずないのに、なんであれをやっちゃったんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

賛否両論を巻き起こし、間違いなく一般大衆ウケはしないだろうと思われる『シン・仮面ライダー』。しかし、庵野監督なりにオリジナルの『仮面ライダー』への愛をありったけ注入した作品だということも、同時に感じました。「平成仮面ライダーシリーズ」のノリで観に行くと後悔するけど、「『仮面ライダー』を現代的にアレンジした作品をやっている」というノリで観に行くと、ぶっ刺さる映画になるでしょう。私としては、もう1回くらい観に行きたいと思ったなぁ。

 

そうそう、視聴日の翌日である今日、グッズも何とか入手したんだった。次回『お前それ、ゾフィーにも同じこと言えんの?ver.2.0』、「『シン・仮面ライダー』の物販紹介パーティー」に、御期待下さい。

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