今回より、5月5日(日)に敢行した群馬県での撮り鉄&観光旅行レポートを投稿していきます。
前回2月の敢行時、ちょうど行程のほぼ折返し地点で不慮の骨折をし、断念せざるを得なかった2日目の行程。手術も無事完了しリハビリもほぼ終わりに近づき、骨折前と変わらない生活を送れることになったことから、日帰りの弾丸行程で現地へ行ってきました。あれから3か月経って季節も変わったけど、現地暑かったな。もしかして、群馬県って結構過酷な環境なのか…?
なお、前回(2月)に栃木県桐生市~群馬県前橋市をめぐった際のレポートは↓コチラです。
bongore-asterisk.hatenablog.jp
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※なお今回は、Part.1ということで、行程前半を取り上げます。
※今回掲載の画像は、サイズ変更のほか、一部画像では諸々の加工を行っています。また、立ち入りが許可された安全なエリアから撮影していることを申し添えます。
①高崎駅
東京駅を7時前に出発する新幹線に乗り、8時前に高崎駅に到着。ここから、上信電鉄の旅が始まります。
高崎駅は、群馬県随一の鉄道の要衝。訪問日はゴールデンウイーク中の中日の朝早くでしたが、新幹線ホーム&コンコースは、当駅で降りる人および当駅からさらに新潟or長野方面を目指す人が多数いて、活気が感じられました。
この大規模なJR高崎駅のそばにあるのが、上信電鉄の高崎駅。JRの駅構内の一番端に位置しており(JRの敷地の一部を間借りしている形であり、それを示すプレートが駅構内にある)、ホーム自体も地続きになっていますが、現在は柵が作られていて、ホーム上で行き来できない状態。JRの改札口を出て、橋上駅舎を下り、そこから駅に向かうという構造になっています。ホーム上で行き来できると楽だろうけど、上信電鉄側は無人駅も多いから、集札とか諸々の問題が多くて難しいのかな。
上信電鉄高崎駅は、1面1線の典型的な地方私鉄の頭端式ホーム構造。掲出されている駅名標や広告も相まって、これだけでもかなり味わい深いですが、ホームの先から見える留置線で休む電車たちも、また魅力的です。この日は、富岡製糸場が世界遺産に登録された際のラッピングがなされた200形等が休んでいました。
上信電鉄は、日中は平均約1時間に1本程度の運行ですが、途中駅の上州富岡駅までの区間については、約30分に1本の運行頻度になっている時間帯もあり、列車交換設備の都合から、高崎駅付近のダイヤがかなりギリギリ。電車によっては、到着後5分も経たずして折返し発車していくという、都心部のダイヤ顔負けの折返し芸を見せてくれていました。よくこれで回してるな、上信電鉄…。
そんな高崎駅に入線してきたのは、元JR107系車両を改造した700形。車体は往年のままでしたが、中はピカピカにリニューアルされており、整理券発行機や液晶ディスプレイ等もしっかり整備されていました。でも、やっぱり国鉄時代の設計だからか、比較的大柄な私からすると、座席が低すぎてちょっと座りにくかったですね。
②上州富岡駅・富岡製糸場
高崎駅から上信電鉄に揺られて、約40分。最初に下車したのは、沿線最大の都市富岡市の中心駅にして、今や世界遺産となった富岡製糸場の最寄り駅:上州富岡駅です。
上州富岡駅は、改札口に直結したホーム1本と、構内踏切を渡ったところにある島式ホーム1本が組み合わさった、2面3線の駅。前者については当駅折返しの電車のみが使用しているため、メインは後者の島式ホームになっています。
こう書くと、少し不便な駅構造に感じますが、ホーム自体も3両編成分しかなく、電車の運行頻度も決して高くはないので、不便さはほとんど感じませんでした。
富岡製糸場の世界遺産登録に合わせて、大規模リニューアルがなされた上州富岡駅ですが、駅そのものや周辺の街並みに、昭和時代から使い込まれているであろう構造物がきちんと残っているのが面白いところ。駅そして街が、昔からちゃんと生き続けてきたことが窺えます。
その上州富岡駅から、歩いて10分程度のところにあるのが、富岡製糸場。ここは毎日朝9時頃から開館しており、私が訪れたのは9時半前だったのですが、それでもかなり人がごった返しており、ボランティアによるガイドは11時からの部でないと予約できない状況になっていました。いやはや、ここまで盛況だとはちょっと予想外だったなぁ。世界遺産になったことの影響力の強さをひしひしと感じましたね。
そんな富岡製糸場の敷地内は、こんな感じ。日本史ではちょろっとしか触れられないこの施設ですが、展示を通してその深い歴史や結集された先人たちの知恵、そして卓越した建築構造等を学ぶことができ、想像以上に楽しむことができました。正直最初は「上信電鉄を旅するなら、ここは寄っとかないとダメでしょ」という程度の軽い気持ちで訪問しましたが、結果的に予定していた時間を少し超過するくらい滞在していましたよ。
③佐野のわたし駅周辺
富岡製糸場から上州富岡駅に急いで戻り、予定していた高崎ゆきの電車に乗車。またしばらく揺られて降りたのは、高崎駅から2駅手前に位置する佐野のわたし駅です。
当駅は、上信電鉄内で最も新しい駅である一方で、1面1線の終日無人駅。付近を大きな川である佐野川が流れており、それを跨ぐ単線ガーター橋を走る電車を撮るべく、ここで降り立ちました。
そのような構図を撮るために、私がチョイスしたのは、駅から川方面に3分ほど歩いた、ガーター橋を見上げられる場所。そこから撮影したのが、上の画像です。
構図的にはそれほど悪くはないかなと思いますが、やって来た下仁田ゆきが700形であり、これの前面表示幕がフルカラーLEDであることから、バーコードにならないようにシャッタースピードを落としすぎてしまったため、ちょっとブレた写真になってしまったのが、個人的には残念。また、もう少し川も画角内に入れ込めればよかったかなと思いました。以前の上毛電鉄富士山下駅での撮影に比べると、悔いの残る結果になってしまいましたね。
④寺田町踏切~根小屋駅
③の撮影地から、さらに西へ進んで5分ほど。東京農業大学第二高校(農大二高)のグラウンドが見えたところにある踏切が、寺田町踏切です。
ここは、線路が大きくカーブしており、下仁田方面からやって来る電車を捉えるのに適したポイント。ここから撮影を狙ってみました。
そうして撮影したのが、上の画像。元西武101系である500形のマンナンライフラッピング車(上州富岡駅で休んでいた車両ですね)を捉えることができました。この車両は通常の幕車なので、もう少しシャッタースピードを上げて撮影しても、よかったかな。
そして、寺田町踏切で撮影を終え、線路沿いを通る道路を15分ほど南西に下ると、佐野のわたし駅の下仁田側の隣駅である根小屋駅に到着。ここは昔からある駅であり、駅舎もホームも昭和の頃からのものが現存。小湊鉄道のときと同じく、生きている現役の昭和レトロを堪能することができました。
駅舎はかなり小さかったですが、ちゃんと待合スペースがあり、かつ駅員が窓口で待機できるような構造になっているのがいい感じ。ホームもなかなか広かったし、往時はそこそこ乗降人員があったんだろうなぁ。
さて、今回はここまで。次回以降では、後編として、このあとめぐった下仁田地区や、上信電鉄では有名なあの駅の訪問等を取り上げます。お楽しみに!
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