お前それ、ゾフィーにも同じこと言えんの?ver.2.0

主にウルトラマン・仮面ライダー・スーパー戦隊シリーズなどの特撮関係の話題等を扱っていこうと思います。

舞台観劇私論

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画像は、歴史ある中目黒キンケロ・シアターを訪れたときの1枚

 

 

 

新年最初の記事でも少し触れましたが、昨年2023年において、自分の中であった大きな変化の1つに、舞台観劇があります。

bongore-asterisk.hatenablog.jp

 

最初は、とある知っている女優さんが出るというので、試しに観に行ったことがキッカケですが、そこから舞台という表現技法に興味を持ち、最終的には大小含めて10本程度観に行きました。

 

その一方で、昨年のいつ頃だったかは忘れてしまいましたが、「近年舞台俳優や舞台演出を目指す人材は一定数いる一方で、舞台を観に行く人はどんどん減っているのではないか」というツイートを見かけて、なるほどなと感じたことを覚えています。

 

というワケで今回は、どちらかと言えばずっと映像派(ドラマや映画の方が好き)であるという下地があり、そのうえでまだ舞台観劇を始めて間もない(と言っても1年近く経っているのですが)私の視点から、“舞台”というものの魅力やメリット・デメリットを、ツラツラと書き綴っていくことにします。

 

 

 

舞台という表現技法の魅力。それは何と言っても、“舞台”という限られたスペースで全てのドラマを描くという制約と、全ての上演が後世に残らないという一種のはかなさでしょう。

 

まずは、“舞台”という限られたスペースでの制約。テレビドラマや映画は、ロケ地やグリーンバックとCG素材が用意できれば、背景やシチュエーションをいくらでも変えたり増やしたりすることが可能。また、カメラのレンズに映っているものが全てですから、フォーカスを当てる対象物を変えたり、あるいはズームで撮るか広角で撮るかとすることで、多彩な表現をすることができます。

 

それに比べて舞台は、使える舞台は上演用のスペースだけ。いくつか構造物を置くこともできますが、ある程度大規模であったり、あるいは2.5次元の舞台でもなければ、細かくセットを変えたり、エフェクトをつけるためのスクリーンを出したりなどということはできません。また、カメラで演者をフォーカスすることもできないので、細かい顔の演技で何かを表現するといった技法も当然使えません。

 

こうした制約の中で、ひねり出される様々な演出―それは演者の声色や身振り手振りの演技、舞台照明の光の当て具合等―、ここに大きな魅力があるのです。

 

文章にすると、確かに映像作品に比べると制約だらけで窮屈に感じられますが、こうした制約が多ければ多いほど、この手の創作者たちは燃えるもの。その結果、逆に映像作品ではあまり見られなかったり、とられないであろう大胆な演出が取り入れられていたりするのです。そうした上演側の熱気によって生み出される、劇場内の空気感も、映画館とは違った独特の高揚感がありますね。

 

続いて、全ての上演が後世に残らないこと。最近では、配信があったり特定の公演を収録して発売したりということが、舞台の大小問わず行われるようになってきましたが、こうした状況下であっても、やはりすべての公演が録画等されて、後世には残るわけではありません。もちろん、先述の特定の公園や、舞台のための脚本等は残りますが、上演自体はそれっきりです。

 

最初、こうした「作ったものが残らない」という舞台の必然的宿命(これは能や歌舞伎にも通じますが)を、自分は理解することができませんでした。だって、同じ労力を使って何かを作るのなら、どんな形であれ、できるだけハッキリとした形で残るほうがいいじゃないですか。小説でも漫画でもドラマでも、下地が残っていれば、いつの時代の人でも触れることができます。

 

しかし舞台は、全公演を後世に残すことはできない。こうしたある種最大のデメリットを抱えている中で、なぜあえてわざわざ舞台という表現技法を選択するのか?その理由が、「残らないからこそできる表現があるから」ということを、観劇を重ねるうちにだんだんとわかってきました。

 

すべてがそうというワケではありませんが、舞台には時折演者のアドリブパートが用意されています。ここでは当然演者が何をしてもいいのですから(公序良俗に反するものはダメだけど)、毎公演ごとに大きく変化するのですが、中にはかなりぶっちゃけたことを言ったり、「映像表現で残るということがわかっていたら、絶対できないだろうな」という表現があったりということが多々あります。

 

さらに突き抜けると、これはアドリブとは異なりますが、かなり攻めた表現を取り入れている舞台もあり、こうしたものは、映像表現では顰蹙を買う等してできなかったり、逆に時機を逸したりしてスベる場合もあるため、舞台だからこそできるフットワークの軽さだなと感じます。

 

そんな、映像表現とは違った魅力と面白みがある舞台ですが、それゆえに映像作品に大きく劣る点があるのもまた事実。ほとんどの舞台が関東圏か関西圏での上演であり、上演期間も長くて2週間程度。よほどの大規模公演でもない限り、地方凱旋などはありません。

 

また、そうした制約を乗り越えたとしても、次に立ちはだかるのが観劇料金。もちろん舞台やそれを上演する劇場等によって様々ですが、大体映画館で普通に観る料金の2倍はします。そのうえで、前方席にしたり、あるいはお目当ての俳優・女優がいればそれに関する費用を積み重なるため、よほど好きでもない限りはそんなに頻繁に、ホイホイと観に行ける代物ではありません。

 

さらに、映画とは違い、チケットの販売方法も多種多様になっているのが逆に厄介。映画の場合だと、シネコンが各々予約サイトを持っていたり、ムビチケで全国共通の前売り券を購入できたりと、比較的わかりやすい動線が組まれていますが、舞台の場合はチケット購入サイトが乱立しており、チケットを買うためにまずその劇団のSNSをチェックしないといけない状況。パスマーケット等のネット予約サイトで買えるならまだいい方で、特定のツイートにしか掲載されていない申込フォームから申し込まなければならなかったり、そうしたものすらない場合は、劇団の公式メアドに直接メールを送って予約するなんてものもありました。

 

このように舞台は、映画等に比べて、観劇までのコストが非常に大きいんですよね。統一されていないがゆえに、大小さまざまな劇団が、大小さまざまな劇場で多種多様な舞台をできるメリットもあるのですが、ある程度「この舞台を観たいんだ!」と思って情報を追いかけていない限り、一般人が舞台を観に行くっていうのはなかなか難しいですよ。統一されていないがゆえのメリットはありますが、動線がもう少しハッキリしてくれると、舞台観劇をする人も増えるんじゃないかなぁ。

 

 

 

 

長所あり短所あり、メリットありデメリットありの、“舞台”という表現技法。しかし、これでなければできない表現や作品があることも、また事実です。よく、大正~昭和中期あたりの作家が、「若いころはアングラ演劇にはまっていた」と記述されることがあるけど、その気持ちがわかった気がするよ。

 

さて、私の今年の舞台初めは、1月下旬から。以降も、まだチケット販売開始等はしていないものの、興味がある舞台がいくつもあります。今年はどんな作品に出会えるかな―!

 

 

 

 

 

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